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■■■ ちいさな神様花見酒の相手をしろとの言葉に、一も二もなく馳せ参じた首無である。 酒と盃を調達して戻れば、縁側に座した主が待ち受けていた。 まずは一献、と酒を注いだのはつい先刻。 酒精がゆるり、ゆるりと空気を揺るがしている。 盃になみなみと酒を満たし、だが口をつけずにリクオは凪いだ水面を見つめている。 「若、どうかされましたか?」 「ああ、お前ェは気にせず飲め」 「若より先に飲めるわけがないでしょう」 「固ェ奴だな」 ふ、とリクオが笑う。 それだけで夜闇がざわりと、嬉しげに風を鳴かせた。 爪痕のような月が辛うじて引っかかっている夜の空、星灯りは遠く、静けさに塗り潰された庭は、まさしくあやかしが闊歩するに相応しい。 その中心に、悠然と居る。 まさしく、百鬼夜行を率いる主よと、首無は目を細めた。 「ったく、気にすんなってのに」 リクオは仕方ない、と言いたげに口の端を持ち上げると、酒の香気ごと飲み干すかのように盃を傾けた。 夜にぼうと白く浮かぶしだれ桜を肴に、一献、また一献と杯を重ねる。 「首無よう」 「なんでしょう」 リクオはふと、怜悧な眼差しを緩める。 「可笑しいとは思わねェか」 くつくつと笑う。 にいと歪められた口はなにやら嘲っているようにも見える。しかしつと見れば、朽葉に萌黄が燃ゆる 首無はすぐには返答しかね、はあ、と間延びした相槌を返した。 「あいつぁ、人間らしくなろうとしてるんだよ」 あいつ、とは……問おうとして首無はやめた。 リクオの口調に揶揄する響きは今度こそなく、たぷんと揺れる酒に映った姿を、柔らかな目で見ている。庇護する相手ではなく、付き従う者でもなく、ただ────そう、慈しみさえ感じる感情が向けられる相手を、首無は一人しか知らなかった。 「人間じゃねぇから、『人間らしく』なろうとするってことに、あいつはまだ気づいちゃいない」 水面に映る己の奥に、今は眠る、人の血が支配した姿を見ているのだろうか。 「若……?」 「『オレ』が妖怪だってことを、誰よりもあいつは知っているのにな」 ぽつり、と落とされた呟きは胸を掻き毟られるような情動に濡れていた。 首無は息を呑む。 ざあ、と音を立てて通り過ぎていった風、一拍遅れて色褪せた桜の花びらが盃に降る。 漣がゆっくりと水面を薙ぎ、映る主の姿を揺らした。 「思い出せよぅ、リクオ」 誰よりも近くて遠い片割れに呼び掛ける声を、聞いていることしか出来なかった。 酒はいつの間にやら冷めていた。 |